第16回 油彩画家
平松 麻さん
今回登場するオーバルボックスは、「IFUJI」の箱でありながら、すでに油彩画家・平松麻さんの作品になっているもの。数年前、東京・吉祥寺「OUTBOUND」にて開催された井藤昌志の個展で、会場に陳列された箱です。今は平松さんの手元に戻り、アトリエに。何度も塗り重ねられたグアッシュによってチェリー材の木肌はすっかり見えなくなり、しっかりとした凹凸、独特の風合いが生まれています。
「最初にベージュの絵具を塗って、乾いたらグレイッシュブルーを重ねて。その上にさらにベージュ混ぜたグレーを。やすりをかけて、下の色を取り出していく感じです。蓋を開けたときにコントラストが強く見えるのが好きなので、中には赤紫色を塗りました」
美術大学に通うことなく、特定の師匠の下で学ぶこともなく、ほぼ独学で油彩の世界に飛び込んだ平松さん。静かでありながら、見る人をぐいと引き込む作品たちは、一見抽象画、心象画のようですが、彼女にとっては空想の産物ではなく、自分の「お腹のあたり」に確かに存在する風景で、リアルなもの。その手ごたえを作為なく、油絵というかたちに落とし込んでいくことを続けています。油絵具は乾くまでに時間がかかるので、常に複数枚の絵の制作を同時進行。「時間をかけること」をいとわない人だけが、身を置くことができる世界です。
「幼い頃から食事のたびに、母が作った料理に合わせ、お膳立てをするのが私の役割でした。『違うな』と思ったら何度も選び直して……そのくり返しで、私の色や質感、ものに対する感性が育っていったかもしれません。5~6年も続けていると、根来塗(黒漆を下塗し、朱漆を重ねた漆器。長年使うと下の黒漆が少しずつ表面に現れてくる)の器の景色が変わっていることに気づいて。『これ、私が育てたんだ』と喜びが湧き上がってきたんです」
こんな質感や風合いを、自分でも作り出してみたい。自分が内側で感じている風景を描きたい。そのふたつが、平松さんの創作の大きな原動力。幾重にも色をまとったオーバルボックスにも、そんな根来塗の器たちのように、時間の経過とその変化の過程を慈しむ思いも、刻まれているかのようです。
箱は道具として使われるものだけど、用途や機能より先に、「感性が開かれるもの」として存在するかどうか。オーバルボックスも、中身に入れるものを固定させず、そのときどきに気になるもの、入れておきたものを収めていて、平松さんの記憶のコラージュのようになっています。
「子どもの頃からずっと曲げわっぱのお弁当箱を使っていたので、オーバルボックスを見ると、ついそのお弁当箱を思い出します(笑)。あとやっぱり、井藤さんを思い出しますね。作り手の人柄や哲学。目にすると、『私も頑張らなくちゃ』と思えます。自分をふるい立たせてくれる、そんな存在です」
さまざまな大きさの紙片は、紙やすり。絵具を上からこすって削り、また色を重ねていくときに使うもの。「ふと見たら、これ自体がすごくきれいな景色で、捨てられなくて。友人にカードを贈るときに封筒に入れたり、お礼状の葉書に貼り付けてみたり。下中央は、平松さんがライフワーク的に続けているマッチ箱に絵を描くシリーズ「Things Once Mineかつてここにいたもの」の作品。くるみにアンティークのピアス、匙は「hasuike」石本知美さんが手掛けたもの。
(プロフィール)
油彩画家。展覧会の発表を軸に、挿画や文筆も手掛ける。柴田元幸氏の新訳による朝日新聞の連載小説『ガリバー旅行記』の挿画を担当中。座右の銘は「今に飛び込め」。「自分にとらわれず、時間にとらわれず、錯覚にとらわれず、淡々とやって来る今の連続に、いかに飛び込み続けることができるか。すぐに去る今、ほんの瞬間しかない今、すぐにやってくる新しい今。そんな風に『今』を真ん中に過ごしていきたいです」。